※展望台の営業時間に準じて、
変更の可能性があります。
主 催:
株式会社TOKYO TOWER
協 賛:
産経新聞社 / マザー牧場
スタートアップの先駆者
東京タワー創設者・
前田久吉からのメッセージ
総合電波塔の必要性
東京タワーが建設される前は、各放送事業者が独自に電波塔を建設し放送を行っていました。しかし、これらの塔の高さでは、放送電波の届く範囲が限定されており、関東平野の一部では受信が難しかったとされています。また、指向性のあるアンテナのため、チャンネルを変えるたびにアンテナの向きを調整する必要があり、不便な状況が生じていました。
都市景観においても、各放送局の鉄塔が乱立していたことから、これが好ましくないとされました。特に、今後放送局が増加すれば、東京が電波塔だらけになる可能性が指摘されました。
このような状況の中で、関係者は電波塔を一本化する総合電波塔の必要性を感じ、前田久吉によって東京タワーの建設計画が進められました。他にもさまざまな計画案が存在しましたが、東京タワーの提案は高さ300メートルを超えるもので、他の案よりも突出していました。東京タワーは、その後、展望台を備え、パリのエッフェル塔を超える世界最大の塔として建設され、観光名所としても知られるようになりました。
前田 久吉(まえだ・ひさきち)1893 - 1986
明治26年に南大阪・天下茶屋の裕福でない農村に生まれ、桶屋の丁稚奉公から身を立てる。
親戚の新聞店を手伝ったことをきっかけに、大正11年南大阪新聞を創刊。のちの産経新聞の源流となる。
市民の娯楽や楽しみを重んじた記述は好評を博し、博覧会を多数企画。博覧会男の異名を持った。
その後、関西テレビやラジオ大阪といったメディアを創設し、国政では参議院議員を2期務め、現在の関西未来銀行の源流の一つとなる大阪不動銀行を設立。
更に日本航空や日本エアシステムの源流となる日東航空、大阪電気通信大学や証券会社、印刷会社を設立し、東京タワー、マザー牧場と多岐にわたる事業を立ち上げ、成功に導いたスタートアップの先駆者。
1986年、93歳で没。
シンプルに洗練された空間において、東京タワーの貴重な資料展示、各種企画展を定期的に開催します。展望台からのお帰りに、ぜひお立ち寄りください。
※フットタウン3Fにはタワーギャラリーの他、オフィシャルショップ「GALAXY」、マザー牧場カフェなどがあります。